宇都宮地方裁判所 平成3年(わ)1号 判決 1991年7月11日
主文
本件公訴を棄却する。
理由
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、第一 平成二年一二月一八日午後八時ころ、鹿沼市<住所略>の○○工業第二工場内大進工業作業場において、Aの背部を所携のナイフで未必の殺意をもって二回突き刺し、同日午後八時三三分ころ死亡させた。第二 本邦への入国後の在留期限が昭和六四年一月六日であったのに、同日までに出国せず、平成二年一二月一九日まで不法に本邦に残留した。」というのである。
ところで、本件起訴状には、被告人の年齢につき「一九七〇年 以下不詳生」と記載されており、検察官は、右はパキスタン政府発行の被告人の身分証明書、パスポート等の記載に基づくものと釈明し、被告人は当公判廷において「自己の正確な生年はよく分からない。一九八八年にパスポートを取得するためIDカードを作成しようとした際、係員から一八歳になっていないと言われたことから、パキスタンでは一八歳にならないと個人でパスポートを取得できないので、係員に賄賂を贈ってIDカードに一九七〇年生と虚偽の記載をしてもらった。そして、右IDカードに基づき嘘の年齢を申告してパスポートを取得した。本件の捜査段階では、偽造罪に問われると困るなどと思い、一九七〇年生と供述した。」旨述べ、また弁護人は被告人の幼名によって登録された出生証明書であるという書面等に基づき被告人の生年月日は一九七一年五月二七日であると主張する。そこで、以下被告人の年齢について検討する。
まず、被告人のパスポート及び三枚のIDカードにはいずれも一九七〇年生と記載されているが、右の記載がいかなる根拠、資料に基づいてなされたのかは証拠上全く明らかではない。そして、検察官提出の捜査報告書、出生証明書写し及び被告人の父親の供述によれば、パキスタンにおいては出生証明制度が必ずしも十分に機能しておらず、事実本件発生後の一九九一年二月になって被告人の関係者によって被告人が一九七四年生であるという根拠不明の出生登録がなされていることが認められる。これらの事情に鑑みれば、前記IDカード等が被告人の真実の出生日を証する書面等に基づき作成されたものとはにわかに断定し難く、賄賂を贈って虚偽記載をしてもらったという被告人の供述を排斥することも困難である。
他方、弁護人提出の出生証明書(弁二号証)には、被告人と父を同じくする「B」なる者の生年月日が一九七一年五月二七日と記載されているが、そもそも右「B」が被告人の幼名であるという被告人やその父の供述は極めてあいまいで信用できず、他に右「B」なる者と被告人との同一性を明らかにする証拠はない。また、被告人が在籍したというハイスクールの人格証明書(弁一号証)には、被告人の生年月日につき弁二号証と同様の記載がされているが、右記載の根拠は明らかでない。そして、先に触れたパキスタンにおける出生証明制度の実情やハイスクールでは親の申告のみにより生徒の年齢を把握する場合があるという被告人の父親の供述に照らすならば、本年の三月三〇日になって作成されている右人格証明書が弁二号証を得た被告人の関係者の申告に基づき作成された可能性を否定できないから、右証明書記載の生年月日をもって直ちに正当なものとは断定できない。
以上の次第で、前記各種証明書等によっても被告人の生年月日を特定することはできず、結局被告人の正確な生年月日は不明であると言う外ないが、被告人らの供述や被告人の外貌、態度等諸事情に鑑みれば、被告人が未成年である可能性を否定することはできない。そうするとこのような場合、被告人に有利に少年法所定の手続規定が適用されるべきであり、公訴提起は右手続を経た後に行われなければならないところ、本件においてはこれを経ることなく直ちに起訴がなされているのであって、本件公訴提起手続が少年法の規定に違反したため無効であるから、刑事訴訟法三三八条四号により本件公訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官上田誠治 裁判官樋口直 裁判官小林宏司)